フィンレイソンは、1820年に創業された、北欧フィンランド最古のテキスタイルブランドです。

創業以来200年以上にわたりフィンランドの繊維産業を牽引し、服地から寝装品、ホームテキスタイルまで、質の高い製品によって、心地よい日常の暮らしを提供してきました。

また、1951年のデザインアトリエ設立以来、多くの洗練されたデザインが生み出され、数えきれないほどのデザインアーカイブが残されています。

長い歴史のなかで、トップリーダーとして挑戦してきたその姿勢は、現在も企業理念として受け継がれ、サステナビリティ、ダイバーシティなど、世界的な社会問題にも積極的に取り組んでいます。

1820年

フィンレイソンの誕生

1820年に、英国スコットランド出身のジェームズ・フィンレイソンが、タンペレに流れる急流、タンメルコスキ川のそばに、小さな工場を建てました。繊維分離機製造からスタートした工場は、綿加工と織物製造へとシフトしていきました。

1830年代

1836年にロシア人ジョージ・アドルフ・ロウチと実業家のカール・サムエル・ノットベックがフィンレイソン工場を買収しました。その後、ノットベックのすぐれた経営により、フィンランド最大の紡績工場へと成長しました。

フィンレイソンエリアでのコミュニティーの拡大

タンペレの工場エリアは巨大なコミュニティを形成し、工場内に学校、病院、疾病基金、図書館、教会が次々と作られていきました。

1850年代

クリミア戦争の影響により、ロシアの占領下にあったフィンランドでは、通貨が欠乏していたため、フィンレイソンは、工場のワーカーたちへの賃金を独自通貨で支払いました。フィンレイソン紙幣は、タンペレ内のすべての店舗で使うことができました。

1860年代

女性の雇用

フィンレイソンはタンペレの人口の半分もの人を雇い、フィンランド初となる女性雇用の場を提供。その高品質な商品はしばしば国際展示会で高い評価をうけました。

1870年代

スカンジナビア初の電気

フィンレイソンの工場で、スカンジナビアで初めて電気が使用されました。工場には男性1000人、女性2000人強、その子供たちが300人ほどいました。

1920年代

タンペレにショップがオープンしました。その後、販売網が拡大していきます。

1930年代

PMKというフィンランド綿工場の業界団体が設立され、その後PMKの広告キャンペーンは雑誌、店のショーウインドウなど様々なところで見られました。

1950年代

オリジナルデザインの幕開け

1950年以前、デザインは海外に外注していましたが、1951年にフィンランドで初めて自社内にスタジオを設立し、最初のデザイナーを登用。以降フィンレイソンは自社のデザインチームでオリジナルのテキスタイルパターンを数多く生み出しています。フィンランドを代表するデザイナーとなったアイニ・ヴァーリによりデザインされた「コロナ」は、現在でもブランドの代表的なデザインです。

1960年代

ホームファッションへ

刺繍をあしらったシーツや羽根布団の製造を開始。初めて製造された掛け布団カバーは「寝袋」という愛称で親しまれました。1969年、フィンレイソンと大学が共催のコンペでライナ・コスケラによって発表された「エレファンティ」は寝具やカーテン生地に採用され、現在も一番人気のデザインです。

1970年代

テキスタイルデザイン黄金期

時流に乗り、カラフルでポップなデザインが爆発的な人気を博しました。
アリヤ・マッティラが1971年にデザインした「オンニ」というハート柄は100万メートル以上のヒット商品となり、「ミリオンハート」という愛称で呼ばれました。

1980年代

商品ラインナップの拡大

インテリアの色柄を統一してコーディネートすることが流行し、フィンレイソンでも布団カバーやタオル、カーテンなど、色と柄のどちらでも組み合わせ可能なラインナップが発表されました。

2020年

創業200周年

創業200周年を迎え、日本では国内7ヶ所で展覧会が開催されました。ミリヤ・ティッサリの「アンヌッカ」などが記念デザインとして復刻されました。

時代を超えて

時代を超えて愛されるフィンレイソンは、伝統を守りながらも新しいものを常に創り出し続けています。長い歴史のなかで、トップリーダーとして挑戦してきたその姿勢は、現在の企業理念でもあり、サステナビリティ、ダイバーシティなど、世界的な社会問題にも積極的に取り組んでいます。